第51話 小谷城の浅井長政を攻めましょう。

ガラシャ

やっと小谷城に攻めにいくんですね。


憲三郎先生

そうです。小谷城の浅井長政を攻めるため、織田信長は元亀3年7月19日に出陣、20日に横山城へ陣を据えます。


ガラシャ

横山城、おなじみになってきましたね。


憲三郎先生

そして21日に浅井長政の居城小谷城へ進撃、雲雀山・虎御前山に陣を張り、周辺の町を破壊します。


ガラシャ

織田軍の陣は小谷城からどのくらいの距離にあるんですか?


憲三郎先生

どちらも小谷城から約1.5Kmほどの距離です。


ガラシャ

思いのほか近いですね。城の周辺の町を壊して、次は突撃ですか?


憲三郎先生

いいえ、22日にまずは阿閉貞征が立てこもる山本山城の麓を焼き払います。そして応戦してきたところを制圧します。


ガラシャ

阿閉貞征?


憲三郎先生

浅井長政の家臣で山本山城を居城にしていた武将です。


ガラシャ

山本山城はどの辺りにあるんですか?


憲三郎先生

小谷城の西側の琵琶湖の側にありました。今も城跡が残っています。小谷城との距離は約8㎞ほどです。


ガラシャ

なるほど、背後をとられて困らないようにしたんですね。


憲三郎先生

そうです、そして山本山城を制圧した織田軍は、23日に余呉・木本の一帯の名所・旧跡を焼き払います。


ガラシャ

また余呉・木本は焼かれてしまうのですね・・・。特別な場所なんですか?


憲三郎先生

「越前との国境付近」と史料にあるので、朝倉義景を意識していたのかもしれません。


ガラシャ

なるほど、朝倉義景と浅井長政は同盟関係にあるので援軍防止策ということですね。



ガラシャ

また、一揆勢!


憲三郎先生

一方は小谷城から東に10Kmほど離れた場所にある草野の谷を焼き払います。


ガラシャ

山の中みたいですが、なんでこの場所を焼き払ったんですか?


憲三郎先生

この山にある寺院に一揆勢が立ても籠もっていた為です。焼き払った後、夜間に背後の山から攻め上がり一揆勢を殲滅しました。


ガラシャ

もう一方はどんな様子ですか?


憲三郎先生

もう一方は、琵琶湖からの攻撃です。


ガラシャ

琵琶湖から!?



ガラシャ

囲舟!?戦国時代はもうこんなに大きな船を作っていたんですね・・・。びっくりです。


憲三郎先生

日本の歴史からすると船は西暦600年頃、遣隋使の時代から屋根のある箱型構造の船が用いられていたようです。


ガラシャ

確かに歴史の授業で習いましたが・・・船の大きさを想像したことがなかったです。


憲三郎先生

改めて史料を見ると当時のイメージがわきますね。


ガラシャ

イメージが湧くととても楽しいです。それにしても光秀は坂本で城だけではなく船も作っていたんですね。


憲三郎先生

どのように、いつから作っていたのかという史料がないので詳しいことはわかりませんが建造に携わり、舟戦に参戦していたのは確かだと思われます。


ガラシャ

史料がもっと見つかる事を祈ります。このあと織田軍はどう攻めていくんですか?


憲三郎先生

北近江各所の一揆勢を殲滅した織田軍は、7月27日に虎御前山に城を作り始めました。


ガラシャ

陣のあった場所に城ですか?このタイミングで?


憲三郎先生

さらに虎御前山城と横山城の間に2カ所の砦を作りその間に道を通し、さらに敵陣に側の路肩には土塁を作り、そしてその土塁の外には川を作りました。


ガラシャ

鉄壁ガードですね・・・。


憲三郎先生

そうですね、史料には築城の理由は書かれていませんが、元亀元年の時のように京都に攻め込まれない為に防御態勢を強化したのかもしれません。


ガラシャ

長らく兵糧攻めをされていて、この戦で包囲・殲滅されて、目前に城と砦と防壁・・・。浅井長政はどう対処したんですか?


憲三郎先生

虎御前山城着工を知った浅井長政は、朝倉義景に「織田軍が弱り果てている、朝倉軍がきてくれたら討つことができる」と虚偽の報告をして援軍を要請しました。


ガラシャ

たしかに・・・なんとしてでも援軍が必要な状況ですね。朝倉義景はどうしたんですか?


憲三郎先生

朝倉義景は7月29日に1万5千の軍を連れて小谷城にやってきました。しかし、状況を見て対抗できないと思い、小谷城の後方さらに高山の大獄に陣を張るほどでした。


ガラシャ

浅井長政からの報告とだいぶ違いますからね・・・この後織田軍はひたすら城作りですか?


憲三郎先生

いいえ、織田軍の攻撃は普請中も続きます。織田信長は足軽衆に、朝倉軍攪乱のため忍んで攻撃するように指示を出します。


ガラシャ

忍んで!?


憲三郎先生

手柄に従い褒美を用意したようで士気はとても高かったようです。


ガラシャ

もし私が朝倉義景だったら、一刻も早く逃げたいです。


憲三郎先生

ただ、浅井長政が落とされてしまうと次は朝倉義景ですよ?


ガラシャ

・・・逃げるわけにも行かないのですね。


憲三郎先生

そうこうしているうちに、朝倉軍から数名の武将が出頭してきました。8月8日に前波吉継父子3人、9日に富田長繁・戸田与次・毛屋猪介の計6名です。


ガラシャ

出頭ってどういうことですか?


憲三郎先生

史料の前後の文を見て考察すると、「状況を鑑みて織田軍につくという判断をした」ということだと思います。


ガラシャ

なるほど・・・戦況をみて生き残る術を探したということなんですね。織田軍は大々的に攻めには行かないのですか?


憲三郎先生

織田信長は虎御前山城完成すると木下藤吉郎を城に残し、横山城に引き上げることにします。撤退する前に朝倉義景に「一戦交えよう」と使者をだしますが返事はもらえず、織田信長は9月16日に横山城へ引き上げました。


ガラシャ

包囲して兵糧攻め続行という事ですね。


憲三郎先生

そして次回、京都で事件が起きます。


ガラシャ

え!?気になります!

”北近江に居る一揆勢の殲滅成功。
浅井長政は朝倉義景に救援を要請した。”

 
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