第6話 斎藤道三との戦い1 戦いに敗れた光秀はどこで何をしていたの?

ガラシャ

まだまだ解明されていない光秀の青年時代ですが、4話で土岐氏の家臣の可能性が高いとお話にでましたが、土岐氏の家臣だったと仮定した場合何かわかることがあるんですか?

憲三郎先生

そうですね、武士の元服、今の成人式ですね。元服の年は決まっていませんでした。だいたい5歳~20歳で行ったようです。光秀の元服についてもまだ史料が見つかっていないので仮に10歳で元服したとして想像してみましょう。このころ土岐氏では後継者争いが起こっていました。

ガラシャ

応仁の乱からの明応の変で足利義材と足利義澄が将軍職を争っていたから美濃でも二手に分かれて争っていたんですよね?

憲三郎先生

そうです、土岐頼芸が足利義材派そして土岐頼武が足利義澄派でした。ここで復習問題ですが光秀は土岐頼芸と土岐頼武どちら派だったでしょう?

ガラシャ

はい!光秀のひいおじいさんの明智玄宣が土岐頼武派だったので光秀は土岐頼武派です!あれ?でもなんで明智玄宣は土岐頼武派なのですか?

憲三郎先生

正解です。なぜかというと明智玄宣は京都で幕府の奉公衆という親衛隊に所属していましたが、明応の変で奉公衆はみんな足利義澄派になります。

ガラシャ

なるほど、それでもれなく光秀の家も足利義澄派であり土岐頼武派だったんですね。

憲三郎先生

そのとおり。光秀が10歳のころ、光秀は土岐頼武派に属していましたが1525年土岐頼芸と土岐頼武4度目の戦いで土岐頼武は土岐頼芸に敗れ亡くなってしまったようです。

ガラシャ

ということは美濃の守護職は土岐頼武から土岐頼芸になったんですね。光秀は主君の土岐頼武が亡くなってしまってどうしたんですか?

憲三郎先生

光秀は土岐頼武の嫡男の土岐頼純に仕えることになります。この時土岐頼純2歳光秀が10歳です。

ガラシャ

なるほど主君の跡継ぎである土岐頼純に仕えるわけですね!でも2歳じゃどうすることもできないですね。

憲三郎先生

そうですね、この後1535年まで土岐頼純の名が出てくる史料は確認できていません。この時期の土岐氏の内紛についての研究はまだまだ進んでおらず、確かなことが確認できないでいます。

ガラシャ

そして1535年にまた戦うのですね。光秀が20歳土岐頼純が12歳ですか・・。まだ早い気もしますが、もしかして元服したんでしょうか?

憲三郎先生

元服したという史料はありませんが、1535年が土岐頼純の初めての戦いのようです。

ガラシャ

この戦で頼純は・・・

憲三郎先生

負けます。そして越前に逃れます。

ガラシャ

越前?初めて美濃と京都以外の地名が出てきました。越前といえば越前がに。福井ですか?でもどうして越前に逃げたんでしょう?なにか関係がある場所なんですか?

憲三郎先生

越前を治めていた朝倉氏は、土岐政房や土岐頼武と同盟関係で、しばしば援軍を送っていました。土岐頼武の正室は朝倉氏から嫁いできています。

ガラシャ

土岐政房や土岐頼武は土岐頼純のおじいさんとお父さんですね!そしてお母さんは朝倉氏の人。なるほど、それなら土岐頼純が朝倉氏を頼って越前に逃げるのもわかります。

憲三郎先生

そして翌年1536年に土岐頼純はふたたび戦いを挑みます。光秀が21歳土岐頼純が13歳です。

ガラシャ

そして今度こそ・・・

憲三郎先生

負けます。そして越前に逃れます。

ガラシャ

・・・。

憲三郎先生

がしかし翌年1537年に土岐頼純は土岐頼芸と・・・。

ガラシャ

そんなすぐに戦ですか!?

憲三郎先生

和睦します。光秀が22歳土岐頼純が14歳です。

ガラシャ

え?いきなり和睦ですか?何があったのでしょう?

憲三郎先生

史料には和睦したことと大桑城に帰ったことが書かれていました。

ガラシャ

ん~史料がもっと欲しいですね。

憲三郎先生

もっと発見され、いろんな人の目に触れるのを待つしかありませんね。

ガラシャ

そのあとは光秀と土岐頼純は平和に過ごしたんですか?

憲三郎先生

そうですね。1543年光秀が28歳土岐頼純が20歳の年末までの6年間は平和に過ごしました。

ガラシャ

1543年に何が?また戦いですか?

憲三郎先生

そうです。土岐頼純は大桑城で土岐頼芸に敗れ織田信秀を頼って尾張に逃れます。ちなみに織田信秀は織田信長の父です。

ガラシャ

え?ここで織田家登場?意外なほど古くからのお付き合いなんですね。

憲三郎先生

尾張の織田家も土岐頼芸が土岐頼武との戦いで逃れていくなど付き合いは古くからあったようです。

ガラシャ

なるほど。ということはもうこの時点で光秀と織田信長は出会っているのでしょうか?

憲三郎先生

1543年光秀が28歳土岐頼純が20歳ですが、織田信長は10歳です。出会ったと書かれた史料はありません。
出会っていたとしても意識していないかもしれません。しかし、顔を合わせていた可能性は大いにあるでしょう。

ガラシャ

そうですか、もし出会っていれば後々運命的に思えたでしょうね。そして尾張に逃げた光秀と土岐頼純はそのあとどうなったんですか?

憲三郎先生

光秀と土岐頼純は翌年1544年に織田家と朝倉氏と共に美濃に攻め入るのですが、まず尾張から越前に行き朝倉氏と合流し越前から美濃に攻めていきます。織田家は別行動で尾張から美濃に攻めて挟み撃ちにします。

ガラシャ

そして遂に・・・?

憲三郎先生

負けます。そしてまたまた越前に逃れます。光秀が29歳、土岐頼純が21歳の頃です。

ガラシャ

・・・斎藤道三は強いですね。光秀と土岐頼純はどうなってしまうのでしょうか?

憲三郎先生

二年後の1546年に斎藤道三と和睦し大桑城に帰ります。光秀が31歳土岐頼純が23歳の頃です。

ガラシャ

和睦って、前回の和睦の後攻められたのですから信用ならないですよね?

憲三郎先生

そうですね。なので、斎藤道三の娘を土岐頼純に嫁がせることを条件に和睦しました。

ガラシャ

人質のようなものですね。でも5話でもちらっと出てきましたがこの後土岐頼純は・・・。

憲三郎先生

ここから先は次回お話し致しましょう。

ガラシャ

今回は光秀と土岐頼純の長く続く戦いのお話でしたね。ありがとうございました。
こういう経緯をみると、光秀がとてもしぶとく道三と戦っていたことや主君の頼純に忠誠を尽くしていたことがわかります。

”明智光秀と土岐頼武・頼純は越前や尾張に逃れながら斎藤道三と幾度も戦った。”

 
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